不要な事を考えない

久々のメンタルカテゴリ記事です。今回の記事は「不要な事を考えない」についてです。

 

今回は色々込めて書いたので内容が長くなってしまいましたが、もしこれを読んだ人が何かを受け取ってくれて、人生や相場に活きたとは言わずとも、少しだけでも勇気が出たと思ってくれたら、とても嬉しく思います。

まあ、こんな記事は読む必要ないぜ!という人が多ければ、嫌味でなく本当にそれに越した事はないですし、実際にそういう方は多いと思います。

 

では本題です。

唐突ですが、マイナスな事を何も考えない方が良いパフォーマンスを発揮できる時って、沢山ありますよね。

緊張で普段の自分を出せない時、初めての挑戦をする時、これだけは失敗したくないという時。

社会人の場合で具体的に挙げると、初対面の人と接する時、試験や面接の時、大勢の前でスピーチをする時、偉い人が集まる会議の時、何かの発表をする時、など色々あります。失敗したら自分に悪い事が起こったりする(またはそう強く思い込んでいる)場合は特にそうです。

人間は、経験豊富な物事については適度に緊張している方が良いパフォーマンスを発揮できますが、経験の少ない物事に関しては緊張せずリラックスしていた方が良いパフォーマンスを発揮できるというどっかの研究結果があります。

 

緊張とは少し違うかもしれませんが、例えば日本人に多いと言われる視線恐怖症という精神の病気があります。

視線という概念・イメージに強く恐怖を感じ、自分以外の人間が近くにいる時は意識がそれだけに支配されて、まるで別人になったかのように何の行動も取る事ができなくなります。車のライトに当たった鹿みたいに。

ぶっちゃけると昔の私が極度の視線恐怖症で死んでいた訳なのですが、他にも精神病と呼ばれるものをクソほど抱えていました。元精神病マスターです。

「なんでも病名を付ければ良いと思いやがって~」と感じる方もいるかもしれませんが、それぞれが全くの別物で、精神病と呼ばれるだけあって1つ持っているだけでも正常な生活を送るのが困難になるような、辛いものです。

 

例えば、嘔吐恐怖症なんかは、日常生活の中で突然”嘔吐してしまうかもしれない”という強い恐怖に襲われる病気です。会食恐怖症も似たような感じです。

嘔吐するかもと思った瞬間に、その強いイメージが現実になってしまい、本当に吐き気の症状が起こります。

電車や車などに足を一歩踏み入れると、その時点で乗り物酔いをしてもいないのに強い吐き気に襲われます。ドアが閉まると、もう逃げられないという思いから恐怖が増し、症状も悪化します。最終的には本当に吐くため、乗り物に乗る事ができません。そもそも乗る前に足が動かないし、どうしても避けられない状況で乗ったが最後、それを悟られないよう必死に外面を取り繕いつつ、恐怖と吐き気に耐えるのみです。頭の中はそれだけです。

人とご飯を食べる機会があり、お店に入りご飯を注文したとします。注文の品がテーブルに届き、さっそく食べようとなった瞬間に、食べきれずに吐いてしまうのではないかという恐怖に襲われ、一口も食べる事ができなくなります。そして本当に一口目を口に入れると嘔吐しそうになりトイレに走る事もありました。吐けるものなんて胃の中に殆ど無いのですが。

その場にいた人にどう言い訳すれば良いのか分からなくなり「どうしよう、どうしよう、」とパニックを起こします。

このように吐き気のせいで物を食べられないという面もあるのですが、吐き気が軽い時でも自分が後で吐くのが怖くて何も食べられないという時が沢山ありました。

これらの例はほんの一端ですが、現代社会でしばしば甘えと言われたりする精神病というものは、実際こんな感じなんですね。

 

病院にも行かず(行けず)、薬も一切使わず(使う勇気もなく)、誰にも相談できず自分の力だけで(そうするしかできないので)色々な事を調べ、考え、試し、失敗し、時間をかけてやっとのこと治ったと思っても何度も症状が再発する日々。

精神の病というものは、特に自分の人生にとって大事な時、失敗したくない時に限って狙ったように再発が起こります。

悪い事を考え出した途端に、そこから抜け出せなくなる悪循環が始まります。

やっと何も気にせず楽しく過ごせるようになったと思っていた日々が、全て嘘のように感じます。

事あるごとにギョッとされたり、変な目で見られたり、理解されず不思議がられたり、怖がられたりする事もありました。失敗という一言で片付けられるようなものではなく、それまで積み上げたものを、とても惨めで恥ずかしい、馬鹿にされるような形で失うような、それほど悲しい大きな失敗は沢山してきたと思います。

もしかしたら実際周りからすればそんな事なかったのかもしれませんが、特に自分の中では人生に関わる大きな問題ばかりでした。

 

あんまりマイナスな事を書くのは良くないのでこの辺で終わりにします(すみません)が、

現在の私はこれらの病気が嘘だったくらいに、どんな感覚だったか殆ど忘れてしまうくらいまでに改善する事ができ、曲がりなりにも社会人として普通に生活する事ができています。

もちろん人間なので、どんな時でも絶対に緊張しないなんて事はできないですが、それは精神病の再発という感じではなく、人並に普通に緊張する事ができていると思いますし、不快で辛いといった感情ではありません。

知り合いからも、「怖い人っている?」「全然緊張しないよね」「肝据わってるな~」など、冗談で言われたりするようになりました。

ご飯も何も気にする事なく人と食べられるようになりましたし、乗り物にも何時間も乗れるようになりました。たまにふと昔を思い出すのですが、今のように普通に街を歩いて生きる事ができるのは、本当に幸せな事です。大変だったけど努力してきて良かったなと心から思います。

 

先天的なものを変えるのは難しいと思いますが、後天的に患った精神病は意志次第で誰でも完治させる事が可能です。

一番古い記憶がある3歳の頃からこんな状態だった私ができたので、もしかしたら先天的なものでどうしようも無い、もう無理かもと思って絶望したとしても、いつか治る可能性というのは大いにあります。

これは何度でも書きたいですが、精神疾患は少数の人間の話としても、緊張や恐怖に襲われパフォーマンスが落ちてしまう現象は治す事ができます。

 

思考の悪循環を抜け出す事ができた要因は様々ですし、今までの沢山の取り組みと経験の結果でもありますが、ここでは今回のテーマである「不要な事は考えない」という内容に沿って話をしようと思います。

「シロクマの事だけは考えるな」という有名な話があります。

シロクマの事だけは考えるな、と言われてシロクマの姿を想像しない人はいないように、人間はどんなに考えたくない事があったとしても、それを意識すればするほどそこから抜け出す事ができなくなります。

ではどうすれば良いのか。それは、単に別の事を考えれば良いんですね。

 

試しに、今日食べたものを意識しないようにしながら、昨日の晩御飯だけを思い出してみて下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは唐突で特に意味もない牛丼です。

今ここまで記事を読んでくれている方は、「牛丼・・」とか「スクロールなげーよ!」とか「ここから先はどんな事が書いてあるんだろう」とか、昨日の晩御飯の事を考えてくれていると思います。

 

しかし、先程シロクマの話をした時に想像したシロクマの姿は、既に頭の中から消えていると思うんです。

当然だと感じるかもしれませんが、不要な事を考えないようにするためには、こういった感覚を掴む練習を続けるのが大事です。

 

以下はアメリカのスリ師、アポロ・ロビンス氏による人間の注意力に関する動画で、とても面白いので是非ご覧ください。

 

人間の脳は、マルチタスクよりも1つの事を集中して考えるのに向いていると言われます。

そのため、何かを意識したくない時はこの記事のタイトルのように「〇〇を考えない」という思考ではなく、別の事を考えると良いんですね。

達成したい事があれば他の余計な事は考えずそれだけに集中したり、そもそも自分が本気で取り組みたいと思える物事を見つけたり、それに集中できる環境を作るのも大切です。

 

しかし、私もそうでしたが、緊張や恐怖に悩まされる人はここで問題が出てきます。

「そんな思考になれるならとっくになってる」とか、「分かっていても無理」、「どうしても悪いイメージをしてしまう」、「恐怖がなくならない」という人が多いと思います。「綺麗事言ってんじゃねーよ!」という気持ちも分かります。

ただ、これを解決するためには、ひたすら経験あるのみです。誰よりも不要な事を考えないプロになるんです。

 

人生の悪い経験しか思い出せない、反射的に恐怖に襲われてしまう状態から、少しずつ良い経験をし、良い経験を思い出して意識する時間を増やしていきます。

「この時はあの事に夢中で他の事考えてなかったな~」、「そういえば〇〇を考えていた瞬間は△△を忘れていたな~」という感じで、何でも良いんです。それこそ普通に、今日の昼食や明日のご飯について考えるのも、とても良いと思います。

始めは意識的に、健康な精神状態でいられた時の事をイメージする回数を増やしていきます。

自分がどのような思考回路だったかをロジックで思い出すというよりも、健康な気分を感覚として思い出す感じです。

悪い思考をしなくても何の問題もなかった、という感覚を掴む事ができたら大成功です。

恐怖というものは、実際自分が思っているよりも大した事なく、気にしなくて大丈夫なんですね。

そもそも、他の人からしたら大した事ないものを気にしてしまうという事に悩み、他の人のようになりたいと取り組んでいるのですから、不要な思考だという事、考えなくても大丈夫だという事は自分が一番分かっている訳です。

いつの間にか、無意識にできるようになっている事に気がついたらそれは改善が近いです。

 

最初どころか何年も長い間、できるわけがないと思う時も沢山あると思いますが、一度でも良い経験をして、その時の事を思い出す時間を増やす事を繰り返していけば、本当に少しずつですが確実に改善に向かっていきます。

再び大事な場面で同じ失敗を繰り返したとしても、結局ダメだった、元の状態にリセットされてしまった、という事では決してありません。改善に向かう過程というのは、成功して、失敗して、また失敗して、という繰り返しが普通なんです。

この状態から少しずつ成功の割合を増やしていけば、昔から脳に染みついている悪い思考も、少しずつですが良い思考に入れ替えていく事ができます。

 

(これはまた別のテーマになりますが、恐怖に支配されている自分しか知らないためにそれが自分のアイデンティティとなり、それを変える事すらも怖い、普通の人と同じように扱われるのが怖い、逃げ道として残しておきたい、頑張った結果ただ普通の人間に追いつくだけというのが怖い、という感情が自分を変える邪魔をしてくる事も沢山あります。

しかし、失敗を経験して悪い状態と良い状態のどちらも知っているプラマイ0の状態というのは、誰よりも強いですし格好良いです。何の取り組みかは分からないとしても、分かる人には必ず「この人は努力をする人だ」と無意識に伝わります。)

 

私が過去にFPSゲームに夢中になったり、現在はまだまだ弱小トレーダーであるにも関わらず相場を辞める事は決して無いと言い切れるくらい力を注ぐ事ができているのは、このように1つの事に意識を向けたいという理由もあります。

特に相場は、世界中の人が自分の命とも言えるお金をかけて本気で取り組み、競い合い、多くの人が一生かけても成功できない可能性があります。このような真剣な場所は、一生何かに没頭していたい人間からしたら最高の世界です。

そして、いつか努力が報われた日には途轍もないリターンを手に入れる事もできます。

 

相場の世界においても、気にすると悪影響が出てきてしまうような事は沢山あると思います。

あの時利益確定していればという後悔、もっと利益を増やしたいという欲望、損を続けているギャンブルトレーダーの様子、自分の一貫性が揺らいでしまうような大衆の意見、最近のトレードの損失、などなど。

ここに挙げたのはあくまで私が思った例ですが、人それぞれ「こんな事を気にするのは良くないと分かっているのに・・」という事は色々あると思います。

それらを悪い意味で気にする事なく、取引の改善のみに集中する事ができれば、過去の死んでいた私が今の私になれたように、遠い未来だとしてもトレーダー・投資家として成功できる日が来ると信じ日々を送っています。

 

長くなってしまいましたが、こんなところです!

なぜか分からないですが(すっとぼけ)、牛丼が食べたくなってきました。笑

 

 

ー2022年10月24日(月)ー