FPS廃人だった頃の話、トレードを続ける理由など

※この記事は、2023年1月 ~山籠もり開始~の冒頭を別記事として分けたものです。

 

そういえば、株を始めてからどれくらいの月日が経っただろうか。

2018年1月に株を始めたので、丸5年が経過している事になる。あっという間と言えばあっという間だし、色々な事があったがまだ5年しか経っていないという気持ちもある。

それこそ、世界中に名を轟かせている大投資家・大トレーダー達に比べたら本当にヒヨコのようなものだと思う。

 

もし自分が相場の世界に入らなければ、今頃どれくらいの資産があっただろうか。

現在の資産の2倍は裕に超えていただろう。

 

一体そのお金で何が買えただろうか。

ある日一目惚れし、いつか値段を気にせず買えるようになりたいと思っていたグランドセイコーをいくつも買えた。

この世の全てのゲームを快適にプレイできるような限界ハイスペックPCを組む事もできた。

美味しい物を沢山食べられたし、美味しい思いを沢山する事もできた。

世界を何周も旅するなんて事もできた。

 

もし自分が相場の世界に入らなければ、その時間で何が達成できていただろうか。

ある一曲を弾きたいがためだけに衝動買いしたギターを続けていれば、もっと自由に色々な曲を弾けるようになっていただろうし、ピアノも弾けるようになったら楽しいだろうなと思っていた。

作曲にも興味があり、ボーカロイドIAのソフトとMIDIキーボードを購入して曲を作ろうとしていた時期もある。

電子工作やプログラミング言語を勉強していた時期もあった。

英語を勉強して、ペラペラとは言わないまでも不自由なくネイティブの会話を聞き取って、日常会話くらいはできるようになっていたかもしれない。

 

ゲームは小さい頃から好きだった。囲碁や将棋などのボードゲームやトランプ、コンピューターゲームは何でもやってきた。

数あるゲームの中でも一番夢中になったFPSに至っては、今頃プロゲーマーとして少しは有名になっていたかもしれない。

当時、対等にプレイしていたクランメンバーや対戦相手は、プロの一歩か二歩手前というような層ばかりだったし、実際に後でプロチームに入っていった仲間も何人かいる。

 

もし相場の世界に入らなければ・・・

 

とまあ考えてみたらこのように無限に例が挙がる訳だが、自分にはそのような道を選ぶ事はできなかったし、これといって後悔した事もない。それっぽいストーリーにしてみたかったので試しにそれっぽく書いてみただけである。

 

相場を辞めるという選択肢は無い。こう書くと強がり的な感情だと受け取られるかもしれないが、そうではない。

成功失敗はともかく、単純にこの世界が自分に合っているので此処に居るという表現がしっくりくる気がする。

辞める辞めないではなく、此処が自分のホームというか、自分が成し遂げたい事の数々を天秤にかけて考えた結果、合理的に一番後悔が無いのが相場だという結論に至った。

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株を始めた一番の理由は、正直に言えば”お金”である。たとえ厳しい世界だとしても、自分の能力を磨き、その結果お金が手に入るのならこれほど最高な事はない。まあ殆どの人が同じような動機だと思う。

しかし、同じ動機を持って始めた多くの人々が数年の内に退場していく中で、自分が狂気と執念を持って続けていられるのには理由があり、それを説明するためにFPSを始めた頃まで時を遡る。

 

FPSと出会ったのは、2011年8月(当時14歳後半頃)に我が家でパソコンが使えるようになった事がきっかけだった。

既に書いたように、小さい頃からゲームは好きだった。いつからか分からないが、人生で何か1つは自分の好きな事を極めてみたいと漠然と思っていた。ゲームは誰しも人生の早い段階で出会うものだし、夢中になるのも自然な流れだった。

中学校に入った頃には、毎日数少ない友達とボードゲームやトランプをして遊ぶようになっていた。小学校の頃まではスポーツもゲームの一種なので興味があったし体を動かす事自体は好きだったが、このブログに書いている様々な精神的問題によって痩せ細り筋力が皆無だった事や、早生まれで体の成長が同学年に追いついていなかった事もあり、個人競技はどれだけ頑張っても平凡な成績だった。そして、サッカーやバスケ等のチームでの競技になると極端に萎縮して動けなくなるような人間で、何をやっても最弱の部類だった。

とにかく体を動かす事に向いておらず、自分にはその世界で上を目指す事を考える事はできなかった。

 

携帯電話やゲーム機の類は、親が極端なコンピューターゲーム嫌い&節約家だったので殆ど触った事がなかった。

禁じられていただけ欲が凄かったので、猛烈にねだってボロボロな中古機を買ってもらえた時期もあったが、携帯電話は費用がかかるからか日常の些細な言い合いの度に適当な理由を付けて壊されたり、ゲーム機も誕生日等にソフトをねだるため、適当なタイミングですぐに壊された。

でも、パソコンなら色々な事に使えるため一家に一台あっても良いし、家族で共用という事でギリギリ許されていた。

 

パソコンが使えるようになった自分は真っ先に「FPS 無料」と検索し、小学生の頃から入り浸っていた某チャットサイト(ここでも色々な事があった)の当時の知り合いに「このゲーム良さげだよ。●●くんなら絶対強くなると思う。」と言われて良い気になったのも重なり、某大人気基本無料オンラインFPSゲームを始めた。

それこそが長く続いた理由なのかもしれないが、FPSというジャンルを選んだ深い理由は特に無く、単純に自分が一番楽しそう・やってみたいと直感的に思ったので、ただ軽い気持ちで始めた。

FPSができるようになったと言っても、親がゲーム嫌いなため、熱中している事がバレるとすぐにパソコンを取り上げられてしまう。そのためボイスチャットは聞き専でプレイする事しかできなかったし、そもそも基本的に深く知らない人との会話が病的に不自由な人間だったので、確実にドン引きされるだろうし、声で話せるイメージが全く沸かなかった。後で分かった事だが、幼少期から社会不安障害や対人恐怖症に分類されるものを多く抱えていた。

対戦ゲームは真剣に勝ちを目指すのが楽しいと思っていたため、初めからガチの練習を続けていた。

こんなに奥が深くて面白いゲームに出会ったのは初めてだし、今までやってきたどんなゲームよりも楽しいと感じた。人口も多く、どれだけ強くなったと思っても、慢心するたびに新たなモンスターが立ちはだかって自分を容赦なく叩きのめしてくれる。

FPSは負けたプレイヤーが何を言っても負け惜しみにしかならないし、勝ったプレイヤーが絶対的に正しいという雰囲気がある(一定以上の強さになるとマナーの良いプレイヤーが多くなってくるのだが、これは余談)。

人や社会を恐れるあまり自分から壁を作ってしまっていた事が原因ではあるが、それまでの人生で周りから(悪意は無かったと今は思うが)怖がられたり、ミステリアス・よく分からない・変な奴だと言われたり、自分で自分がよく分からなくなったりという事が日常だったので、そんな自分と正面から向き合って意見や感情を直球でぶつけてくれるプレイヤー達の態度が嬉しく、有難かった。そして、そんなプレイヤー達が集まる純粋なFPSの世界が好きだった。

他人に影響されず自分の好きなように練習をする事ができ、少しずつでも確実に努力の結果が出るという事も嬉しかった。自分で疑い続けてきた自分が本当は正しかったのだ、この自分で良かったのだと証明されていくような気がした。

 

初めは全ラウンド0キルで死亡するのは当たり前だった。

今となっては考えられないが、ギリギリプレイできるとは言っても快適なプレイをするにはパソコンのスペックが全然足りなかった。常に映像がカクカクしていたし、その上ネット回線がポケットWi-Fiだった事もあり、敵も自分も瞬間移動しまくっていた。まずはスペックの足りるパソコンを手に入れなければと思った。

自分でパーツだけ選び完成品を購入する形(BTO)にしようと考えていた所、当時所属していたクランのマスターが「自作は良い経験になるよ」と自作を強く勧めてくれた。中学3年生の子供に自作PCを勧めるというのは今でも凄い事だと思うが、とても信頼できる方だったので、それを信じた。良い事は良い、悪い事は悪いとハッキリ物申す人であったが、人間的にかなり未熟であった筈の当時の自分にとても良く優しく接してくれた。

よく考えてみたら、PCが完成するまでマスターがサポートするつもりで自作を勧めてくれたのだと思う。しかし人を頼るという選択肢が頭に無かった当時の自分は、何も言わず勝手に自分だけで作業を進めてしまった。

本当に何も分からない状態からのスタートだったため、自作PCについてネットで調べに調べまくった。そして必死でお金を貯めた。バイトができない人間だったため、平日の昼食代として親から貰っていた500円の内100円だけをナチュラルローソンの安いパンに使い、400円を毎日貯金していた。年間平日が夏休みを除き約200日とすれば、1年間で8万円は貯まる。2年間程貯金し改めてパーツ構成も決めたところで、流石にマスターに確認を取った。

いや、この高2の時に自作とBTOどちらが良いか相談したような気もする。あまり記憶が定かではない。

自分のやっている事が合っているのか、本当にPCが起動するのか、何もかも分からないし、成功するイメージが全く沸かない。ちょっとしたミスでゴミになるかもしれない。学生時代の大事な全財産をつぎ込んだ大きな賭けだったが、ミドルスペックのPCを無事に完成させる事ができた。

今まで不可能だと思っていた事が実現できた。マスターの言った通り、とても良い経験になった。これは間違いなく今の自分にも活きている。

ネット回線も有線になり、FPS歴3、4年にしてようやく快適な環境を手に入れる事ができた。非ガチのワイワイクランの中での話ではあるが、途端に以前とは比べ物にならないくらい勝てるようになり、クランメンバーからも相当驚かれた。それまではあまりにも負け続けていたため自分は普通の人には追い付けないと思い込んでいたが、戦績に表れずとも水面下でしっかり成長していたのだという事に気付く事ができた。

本当に色々な事があり、色々な事を考えたが、順調に強くなっていった。勝敗によってランキングポイントが上下するランクマッチでは、VC無しの野良プレイで毎シーズン最上位のランク帯(上位0.5%)に居座る事ができるようになっていた。人数が1人足りないようなクランで傭兵として参加しているとVCに誘われる事も多かったが、逆にVCに参加すれば極端に弱くなってしまうので、野良での成績が一番良かった。

次第に、FPSを始めた頃からずっとお世話になっているクランの活動よりも、ランクマッチに力を入れるようになっていった。葛藤の末に所属クランを脱退し、ガチクランを作って仲間を集め始めた。当時ちょろちょろの実の全身ちょろちょろ学生だったので、大して会話もできていない同い年の女性クランメンバーを好きになったりしたが、それもガチクラン活動のために潔悪く諦めた。

 

最低でもオフライン大会出場を目指して、年単位でクランメンバーの成長を考えていた。オフライン大会に出れば嫌でもリアルで人の目に晒される事になるが、それを経験すれば自分の中の何かが変わると信じていたし、自分を変えられるのなら人前であろうと気にせずプレイに集中できるだろうとも考えていた。これはただ自分の問題を先延ばしにしているだけなのだが、若かったのでそれを信じて狂ったように練習を続けていた。

平均すれば自分と同じくらいの強さのメンバーが集まり、有名なAランカーやプロチームとも戦う事が増えてきた。しかし相手はスポンサーの資金で365日ゲームを練習していられるプレイヤーである。当然ではあるが、そのような相手には安定して負けが続いた。

環境の違いもあるが、マスターの自分がVCで話せないという事も大きな障害の一つだと思えてきた。

 

そして、自分はそもそもチーム戦に向いていない人間だという事を実感した。協調性がなく、思考が閉じているというか、プレイの節々で周りとの人間的な差をひしひしと感じさせられていた。

手前味噌ではあるが、個人技に限った話であればかなり上位の部類だったと思う。チーム戦で1vs複数といった状況になった時の勝率だけは無駄に高く、絶望的なラウンドを守る事も周りのプレイヤーと比べたら多かった。相手が本気ではなかったのかもしれないが、ランカーが稀に建てている1vs1部屋でも殆ど勝てていたし、知り合いだと勘違いされる事が何度もあった。

だが、それはただ(無意識ではあるが)自分が小さな世界で集中する事に特化してきたというだけの話であって、5vs5の大会ルールでは、マクロ的な視点やチームワークが無ければ全く意味が無い。いくら自分1人の状況で強くても不利は不利な訳で、普通は勝率5%の所が10%くらいになるだけなのだ。そもそも1vs複数の状況に陥ってしまうのは危険な味方のカバーに行けなかった結果だし、複数の相手に勝てるのは決まって相手に油断がある時だった。何度も同じ事をすれば相手も対応してきて、勝率10%どころか1%くらいになり、逆転はほぼ不可能になる。

結局のところ、チーム戦での勝敗に影響が少ないニッチな状況での練習を続けている(努力の方向性を間違えている)プレイヤーという事になる。勝敗に影響しないのだから、そんな状況で強くても意味が無いし、他の練習をする方が良い。そんなスタイルでは、最初から微塵も油断を見せないような本当に強い相手との試合になれば、必ず自分が原因でチームが負けてしまう。

FPSでは、これは決して強いプレイヤーとは言えない。よく聞く「チームという鎖は一番弱い所から切れる」という話の、一番弱い部分が自分だった。

そして、自分以上の個人技を持っていて、自分以上にチームワークを意識して動く事ができ、どんな状況でも思考が速いようなモンスターが、オフライン大会常連レベルの域では何人も存在する。

基本的に1vs1でプレイする格闘ゲーム等の世界は自分にとても合っていると思う。格闘ゲームであればもっと上位まで行けたのかもしれないが、自分はFPSを好きになったし、FPSのゲーム性が自分の優位性や欠点を突き付けてくれた事に感謝している。その点は全く後悔していない。

 

チーム戦に向いていない件は自分の中で勝手に確信していただけだが、VCに関してはクランメンバーはそこまで大きな問題ではないと言ってくれた。しかし次第に、こんな自分のクランに居続けてくれる事に申し訳なく感じるようになった。

FPSプレイヤーの寿命は20代後半までと言われているし、年齢を重ね将来の事を考えるようにもなり、活動を休止する事にした。確かこれが2017年頃である。

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人生で一番熱中したFPSという選択肢が無くなった。

しばらくはネット世界をやる気なくダラダラ放浪していたが、社会人になり貯金も溜まっていたので、いつかやろうと思っていた相場に手を出してみる事にした(会社に副業を知られたくないので、特定口座が作れる株式市場を選んだ)。

考えてみれば、相場はどんなゲームよりも人口が多く、相手に容赦がなく、結果が全てで、しかもチーム戦のFPSと違って自分個人だけの戦いをする事ができる。ニッチ戦略が通用し、それを許してくれるどころか、少数派である人間が利益を残せる可能性が高い。なんと懐の広い世界なのだろうか。年齢による制限もなく、極めれば途轍もないリターンを得る事もできる。

FPSを辞めてから色々な精神的問題を克服し普通の社会人として生活できるようになるまでも、本当に絶望的と思える取り組みの連続だった。これも年単位の時間がかかった。少しは人間的にも成長して、FPSをやっていた頃に比べて協調性や他人の動きを理解しようとする気持ちも育ってきたと思う。

だが、根は変わらず社会不適合者である。

不要な事を考えない”記事で詳しく書いているが、今までの人生でいくつもの精神疾患を克服する過程において、一つの事に無心で没頭し取り組み続ける事の効果がとても大きかったため、そういった取り組みをする事が習慣や癖になっていたり、そうしていないといつ再び昔の自分に戻るか分からないという不安も無意識にあったりするのかもしれない。

長々と書いてしまったが、以上のように、記事タイトルに対する答えとしては「(恐らく)自分に適性のあるトレードの世界が好きで、ここ以上の世界を未だ知らない事」「一つの事に没頭し続けていたい」というのが大きな理由になる。

 

これでもかなり端折っているが、FPS廃人が株の世界へと入門した流れはこんな感じである。

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FPSでは、最終的にプロと戦う資格の得られるランク帯になるまでに少なくとも7~8千回は負けてきたと思う。

相場では、その負けのたびに大事な資産が減る。汗水垂らして稼いだ大事なお金が無くなる。

殆どの人が大金を損する可能性が極めて高いという意味では、大きな後悔をする取り組みの筆頭が相場だとは思う。

しかしそれは、一番の後悔の基準がお金である場合に限る話であって、自分にとってお金はもちろん失えばかなり苦しいのは確かではあるが、他の道を選ぶ事により生まれる苦しみや後悔を考えたら些細なものだった。

だから、ごくごく自然に、必然的にこの世界に流れ着いた。

 

自分が株をやっている事は、リアルでは殆ど人に話していないし、ツイッターの株垢以外のアカウントでは一切話した事がない。

幼少期から”周りに悪く思われないだろうか”という病的不安と常に戦ってきたが、だからといって特別良く思われようという気は無かった。普通と思われるために必死で、普通どころかみんな自分に対して無関心でいてほしいと常に思っていた。

例えばギターをやるにしても、ただ好きな曲を演奏できるのが楽しいからという理由で始めたのであって、自分なんかがライブに行って人前で演奏するなんて事は技術の有無以前に考えられなかったし、一般的に言われる”モテたい”、”チヤホヤされたい”等の動機は全く無かった。

ギターを購入した事を知り合いに話した際には、そう思われたりもした。普通はそういう感覚なのか分からないが、大体の人は音楽をやる事に対して同じような反応をしていた気がする。

 

経験上、周りの人間からは(株抜きに)変わっていると言われる事が多いが、自分の感覚では全ての行動が普通だし、そういう訳で、自分には相場以外の居場所を選ぶという行動を取る事はできない。

 

それに、後悔が無い事に加えて、これが一番楽しい。

臭い言葉ではあるが、相場の世界に本気で取り組む事ができるよう今までの人生があったのではないかと思う時がたまにある。

今となっては、相場以上に素晴らしい世界を他に知らない。

 

株を始めた20歳の頃からそうだったし、26歳の今でも変わらない。

 

 

 

ー2023年2月25日(土)ー