モチベーションを高く保つ

最近、相場に対するモチベーションがかなり高くなっているのを自覚している。

なので今の内に、このモチベーションが高い理由を考えて記事に残しておこうと思い立った。

いつかモチベーションが低くなってしまった自分が読んでも、しっかり伝わる内容になればと思う。

 

モチベーションが高い時と低い時の違いとは、何なのだろうか。

 

自分が今までの人生で唯一モチベーションを高く維持できていた取り組みといえば、FPSゲームである。

相場を始めるまでは、自分はこの世界でしか生きられないと真剣に思っていた。

加齢による反応速度低下の問題などから、FPSゲーマーの寿命は長くても20代後半と言われており、30歳を超えた自分がどうやって生きているのか全くイメージができなかった(今では多少のイメージは出来るようになった)。

当時は16時頃に学校から帰宅してから深夜3時頃まで、トイレに行く以外の時間は常にデスクにつき、体力の続く限りぶっ通しで試合と練習を続けていた。

ガッツリ食事をとるとかなり集中力が落ちて試合に影響するため、体力が本格的にキツくなってきたら初めて軽食をとるという感じだった。

深夜3時まで活動をして朝7時には起きて学校へ行っていたので、平日の睡眠時間は平均4時間程。

これはどう考えても精神的・身体的に疲れるし、今の社会人としての生活よりもずっとハードだったと思う。

1時を過ぎたあたりからは猛烈な眠気と戦っているため頭も働かないのだが、死んだように画面を見てマウスを振り続けていた。

それなのに、全然苦ではなかった。疲れはするが決して苦ではないのである。

むしろ睡眠時間すら勿体ないくらいに思っていた。

まあそんな人間は特段珍しい訳でもないし、学生時代に本気で趣味や部活や勉強に取り組んでいた人や、競技性ゲームではないにしてもゲームに熱中した事のある人は皆、この感覚が分かると思う。

 

これに対して、相場を始めて数年の自分はどうだったか思い返してみた。

企業について研究する事もなく、1日にチャートを見ている時間は30分~長くても1時間程。

気が向かなければツールを開かない日もザラで、過去の取引を見返すのも数か月に一度だけ。

書籍を読んで勉強した気になってはいるが、これもまた長くて1日2時間ほどで、眠くなったり疲れたりしたらすぐに止める。

休憩したらまた再開しようと言い訳をしつつ、再開する事もなくダラダラしている時間の方が多くなる。

そして何より、自分から頭を使おうとしていない。

人間は基本的に面倒臭がり屋で、疲れる事は極力したくないと考えるのが自然だとは思うので、こっちがデフォルトなのだろう。

取り組んでいる時間が多いほど良いとは決して思わないが、時間以前に意識の段階から大変な違いがある。

 

相場に対するモチベーションが高い事に気が付いたのは、いつものように書籍を読んでいる時だった。

最初はふと”なんか楽しいな”と感じただけなのだが、その理由を考えてみたくなった。

小中学生の頃、初めは翌日の遠足が面倒で憂鬱だったのに、ある瞬間から頭が切り替わり、急に凄く楽しみに感じてきたという経験は無いだろうか。そんなような感覚だった。

まず今読んでいる書籍は、「アルゴリズム取引の正体」という、自分にとっては知識欲を満たす系のジャンルに入るものである。

相場を始めた頃は、このように単純に知識を増やすための書籍をよく読んでいたが、最近はあまり読んでいない。

飽きてきた頃に違うジャンルの書籍を読み始めたから楽しく感じる。これは分かる。

 

では、”飽きていない”というのはどういう事だろうか。

学生の頃にやっていたゲームは一度も飽きる事が無かったのに、書籍には飽きが存在する。

なぜこのような事が起きているのか。

 

少し違う話になるかもしれないが、とりあえず今楽しいと思えている事は、”知識が増える”という点にある。

アルゴについては自分が知っている事が殆どない分野なので、1ページごとに新しい知識を手に入れる事ができる。

それでは、知識が増えるという事がモチベ―ションに繋がるのか?

勿論それもあると思うが、まだ得ていない知識というのはこの世に沢山ある訳で、それは自分がつまらないと感じる分野にも同じ事が言える。

なので、知識欲を満たせるからという理由ではまだ弱い。好みの問題もあるが、そもそも自分は相場が好きなはずではないのか。

そう考えると、もっと根本的な問題のような気がする。

そういえば読書以外にも、以前はあれほど気が向かなかった過去の取引の研究作業も、気付けば全く苦ではなくなっていた。

 

次に、自分が何を楽しいと思うかという理屈ではなく、今の自分は何を感じているのかといった感覚的な面で考えてみた。

モチベーションを維持している時の自分は何を感じているのかを箇条書きにしてみると、

・今読んでいるページが新鮮

・次のページを読みたい

・過去の欠点が分かるのが楽しい

・次の取引はうまくいく気がする

等が挙げられる。全体的にプラス思考で希望を持っている。

 

そして、モチベーションが低い時の自分を思い出してみると、

・早く書籍を読み終えたい

・チャートを見ると憂鬱になる

・退屈・面倒臭い・眠い・疲れた

・でも続けていればどうにかなる

こんな事を思っているのである。

 

両者には違いがあるように見えるが、果たして本当に違うのだろうか。

そして、後者は本当に悪い事なのだろうか。

”眠い・疲れた” に関しては、ゲームに熱中している時も思っていたのでは?

”退屈” と言っても、退屈なトレードほどルールに従っている訳なので良い事だともよく言われている。

”続けていればどうにかなる” と根拠も行動もなしに思ってはいるが、最低限の希望のようなものを持っていると言えばそうだ。

 

それを踏まえた上で、”今読んでいるページが新鮮” に対し ”早く書籍を読み終えたい”、

”過去の欠点が分かるのが楽しい” に対し ”チャートを見ると憂鬱になる” 

これらに関しては、明らかに違う。

 

モチベーションが低い状態で読書をしている時は、未来の事を考えていて、今読んでいるページにすら集中していない。

チャートを見ている時は、過去の経験を悪い意味で思い出し憂鬱になり、次の取引を改善できるという事は考えていない。

 

反対に言い換えると、「今に集中して、過去の失敗は良い意味で反省して次に活かす」という事になる。

これは、ひたすらFPSゲームを続けていた時の自分にも完全に通ずる事だと思った。

今に集中するというのが特に大事で、過去や未来の事など一切考えなくてもモチベーションを高く保つ事はできる。

今のところ自分の人生での成功例がFPSしかないため度々FPSの話になってしまうが、今思えば当時は目の前の敵を倒す事にだけ集中していたし、次弾をいかに正確に当てるかという事や、次の1秒をいかに生き残るかという事しか考えていなかった。

1秒を生き残るためには全体的な試合の流れを考える事も必要不可欠なのだが、あくまで意識のベクトルは今に向いており、全ての思考が今の瞬間のためにあるといった感覚だった事を思い出した。

同じような内容の書籍を読んでいるとモチベーションが落ちて(飽きて)しまうのも、この先に書かれている内容を予想する事によって未来に意識が向いてしまうため、今とのギャップが発生してしまうといった仕組みなのだと思う。

感覚的な話だが、今に集中せず過去や未来の事を考えていると、意識のリズムが狂ってしまうような、そんな感じである。

乗り物酔いにも似ている。乗り物酔いは三半規管を鍛えると軽減すると言われたりするが、自分が無意識に予想している車の動きや加速度とのズレが現実にあるから乗り物酔いをするという場合もある。

運転手が酔いにくいのは車の挙動と意識がシンクロしているからという話もよく聞く。

過去に色々な精神的問題を抱えていたが、その一つとして酷い嘔吐恐怖症に悩まされていた事もあった。

酔い止めが全く効かなかった自分も、気の持ちようを変えただけで乗り物酔いを全くしなかった時が何度もあったし、そんな事を続けていたらいつの間にか酔いや吐き気とは殆ど無縁になっていた。

酷い日々だったが、こんな経験をする事ができたお陰で、メンタル次第でどうとでもなるという強い信念を手に入れる事ができた。

 

話が脱線してしまったが、つまりは変に先読みしたり過去を考えたりせずに今この瞬間に意識を向けて、焦らず落ち着いて今のリズムで考え続けていれば良いのだ。

 

では、意識が現在から過去や未来にズレると、何故それがモチベーションの低下に繋がるのだろうか。

これには2つの理由を考える事ができる。

 

1つ目は、過去の失敗(相場に限らず、日常生活や仕事等も含む)を思い出して憂鬱になるという気持ちが、未来でも同じ失敗を繰り返してしまうと悲観的になる事に繋がり、今の行動は無駄だと感じてしまう。

2つ目は、未来の理想や目標を意識すると、その理想と今の現実との大きなギャップに気付いてしまい、今の行動は無駄だと感じてしまう。

 

未来に悲観的になっていても、またその逆に理想的に考えていても、モチベーションが落ちてしまう事に繋がるのだ。

こうやって考えてみると、過去に意識を持っていく事に関しては、未来を悲観するようにならない限りは大丈夫だと思う。

過去を反省するのは大切な事だと思うので、矛盾にもならない。

 

上記のように、未来を意識して今の行動が無駄であると感じた途端にモチベーションは落ちてしまう。

今に集中すると言っても、そこに少しでも自分の成長を感じ、無駄ではない行動なのだと思えるようにならなくてはいけない。

そのためには、今に集中するという事に加えて、自分と他人を比べないという事も必要になってくると思う。

他人と比べてモチベーションが落ちるのは、大抵自分が追い付けないような優秀な人間を見た時だと思うが、言い換えれば未来の理想の自分を見ているのと同じ事なのだ。

 

自分自身が理想とのギャップに苦しんだり、他人と比べたり、過去よりも未来の事を考えやすいような性格だから、このような考えに至ったのかもしれない。他人の性格や思考は分からないのでなんとも言えない。

 

という訳で、今回の結論は「自分と他人を比べず、未来の事は深く考えず、今この瞬間の成長に喜ぶ」というのが、少なくとも自分にとってはしっくりくる。

 

今書いているこの記事も、一番上から見返すと我ながら結構な量になるが、今はこの一行を書くという事しか頭にない。

というのも言い過ぎだが、他の事はそこまで深く考えていないし、書き始めてからどれくらい時間が経ったか等もあまり考えていない。

以前はこうやって記事を書くのに苦痛を感じていた時期もあったが、意識的に今に集中するという事をしてみると全然苦ではなく、学生の頃にゲームをしていた時のような感覚が蘇ってきた事に驚いている。

 

長々と書いてしまったが結局は単純な話で、過去や未来は今の連続であるという事を考えれば、今に集中し続けるというのはとても合理的な事だと思う。

過去や未来を頑張るという事は当然不可能なので今を頑張るしか方法はないし、逆に今を頑張り続ければそれによって良い過去・未来を作る事ができる。過去や未来を悪い意味で気にする今を過ごしてしまえば、それが悪い過去・未来を作ってしまう。

 

今になって思い出したのだが、梅原大吾氏や堀江貴文氏も、何かのスピーチで「成長を感じる」、「今に集中する」といった内容の話をしていたような記憶がある。

それとも、頭の片隅にそれがあったから今回の気付きに繋がったのかもしれない。

こんな事が時々あるので、やっぱり勉強は辞められないな~と、良い意味で思う。

 

それでは、月曜日からもお仕事頑張っていきましょう!(憂鬱)

 

 

ー2023年4月9日(日)ー